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札幌高等裁判所 昭和51年(う)55号 判決 1976年8月17日

被告人 斎藤卓也

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中、業務上過失傷害の点については、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人廣岡得一郎提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対し次のように判断する。

所論の概要は次のとおりである。原判決は、本件公訴事実第一に対し、被告人が、普通乗用自動車を運転し、本件北三条通りを東進し、同条東八丁目付近道路南側の路外に位置する自宅敷地内に向かい右折進入するため、対向車線上に二列に連続して渋滞停車中の南側車両の前面まで進出して一たん停止し(右停車地点を第二停車地点と略称する)、再び発進しようとしたが、その際、右停車車両の南側には歩道との間になお約二メートルの車道部分があり、右車道部分を直進してくる原付自転車等のあることが予想されかつその見通しが困難であつたから、このような場合自動車運転者としては、右車道部分の交通の安全を確認して発進すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、単に六、七メートル左方の車道部分をべつ見したのみで、その交通の安全を十分確認することなく発進した過失によつて、本件事故を惹起した旨認定し、被告人の所為は業務上過失傷害罪にあたるとしている。しかし、本件においては、被告人は、対向車線上を二列に連続している渋滞車両が、被告人車に次々と合図を送つてその前面を横断するように促したため、これに従つて右折、横断し、第二停車地点まで進行し、前記南側渋滞車両の南側端から本件車道部分に自車のボンネツトをある程度突き出して右車道部分を西進して来る車両に警告を与えていること、右停車地点から左方(東方)の見通し状況はよくないが、被告人は左方を注視できる六、七メートルの範囲内において右車道部分の安全を確認したうえ発進していること、右車道部分の安全をそれ以上確認するためには、さらに車道部分に自車を乗り入れて左方を注視する必要があるが、しかしそうすれば乗り入れた被告人車で右車道部分をほとんど閉塞する結果となりかえつて危険であること、他方越路は、時速約二八キロメートルで右車道部分を西進して来た際、本件事故現場から二百数十メートル以上西方にある交差点の信号に気を奪われ、前方注視を怠つたためわずか五メートル手前に至つてはじめて被告人車を発見していることなどの特殊な事情があり、こうした具体的状況のもとにあつては、被告人において、右車道部分を横断するにあたつて、西進して来る二輪車等が注意義務を遵守するであろうことを信頼しその見通しの可能な範囲内で左方を注視して横断、進行すれば足り、前記越路車のように、前方注視を怠つてまで進行してくる二輪車等のあることまで予想したうえ、これに対処しうるような万全かつ周到な安全確認を尽すまでの業務上の注意義務は存しないものと解すべきである。したがつて、前記のように被告人に右のような安全確認義務があることを肯定したうえ、この義務を怠つたとして過失を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ないしは法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

一、まず一件記録を精査し当審における事実取調の結果をも参酌して、本件事案の経緯を考察する。

関係証拠によれば、被告人は、昭和五〇年八月一一日午後五時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転して、札幌市中央区北三条東七丁目方面から東一〇丁目方面にかけ東西に通じる市道(北三条通り)を東進し、同条東八丁目付近において右市道の対向車線をはさんで南側にある歩道およびこれに面した自宅敷地内へ、右対向車線上を横断して進入しようとして、右市道の自己の進行車線上を東南東向きに車両の右前部が中央分離帯上に位置する状態で一たん停車したこと(この地点を第一停車地点と略称する)、当時同所から二百数十メートル西方にある交差点の信号が赤色を示しており、そのため右交差点の東から前記被告人方前の市道上を含めさらに東方まで対向車線(幅員八メートル)上を二列に連続して渋滞車両が続いていたが被告人が右折、横断する態勢にあるのをみて被告人方前東寄りに停車していた二列の渋滞車両の運転者が、被告人にその車両の前面を横断するよう次々と合図をして促したので、被告人はこれに従い、横断待機中の自車を右に九〇度近く転把させ、東西に渋滞している車両の間をぬつて前進し、右二列の渋滞車両のうち南側の車両の前面に自車の左右の先端が歩道までそれぞれ一・五および一・〇メートルの距離を余す位置において南南東向きに停車したこと(前記第二停車地点)、右南側の渋滞車両から歩道の側端までに約一・七メートルの間隙部分(以下この間隙部分を本件車道部分と略称する)があり、その中間の歩道北端から一メートルのところに車道外側線が引かれていたので、本件車道部分を原動機付自転車等の車両がなお西進して来ることが予測されたところから、被告人は、同地点で右外側線に沿つて左方(東方)約六、七メートル先まで見通し、その限度で本件車道部分を直進して来る車両の存在しないことを確認したうえ、時速一〇キロメートル以下の微速で自車を前進させ、自車前輪を歩道上に乗り入れて本件車道部分をほぼ横断し終ろうとした矢先に、右車道部分を前記外側線の外側に沿つて時速約二八キロメートルで西進して来た越路花子運転の第一種原動機付自転車が同所の歩道北端から約八〇センチメートルの地点において被告人車の左側後尾(後端から約三〇センチメートルの個所)に衝突し、越路は路上に転倒して傷害を負つたことがそれぞれ認められる。

二、そこで右に認定した事実関係を基礎として被告人に原判示の過失を認めた原判決の当否を検討する。

当審の検証の結果によれば、第二停車地点における被告人車の運転席(運転者の眼の位置から車の前端まで二メートル)から、左方の本件車道部分に対する見通し状況は、南側渋滞車両に視界をさえぎられて極めて悪く、右運転席のフロントガラスに身を乗り出すようにして左方を見た場合でもたかだか外側線に沿つて七メートル近くを見通せる程度で右被告人車の車内からそれ以上さらに左方(東方)の部分を西進してくる車両の安全を確認することは事実上不可能であつたと認められる。してみれば、前記認定のように、被告人が右停車地点において本件車道部分を外側線に沿つて約六、七メートル先まで見通しその間に同所を直進してくる車両の存在しないことを確認した措置は、前記のような車両の位置関係のもとに車両内において運転者に要求される左方安全確認義務を一応尽しているものといわねばならない。

そして原判決は、被告人には、第二停車地点から発進する直前に、単に六、七メートル左方の本件車道部分をべつ見するだけでは足らず、さらにその左方の車道部分を注視し、その交通の安全を十分確認すべき注意義務があるのにこれを怠つた過失がある旨判示し、検察官は、当審においてこの点についてさらに具体的に、被告人の本件横断行為は交通法規に違反する危険なものであるから、特別に、被告人には、渋滞車両のため左方が十分見通せない状態であつたとしても、みずから下車するなりあるいは他の者に自車を誘導させるなどして左方車道部分の交通の安全を十分確認すべき注意義務があるところ、これを怠つた過失がある旨主張する。そこで本件において、被告人に、右のようなみずから下車しあるいは他の者に誘導させるなどして見通しのきかない本件車道部分の交通の安全を確認するまでの注意義務があるか否か、右認定の事実関係に基づいて、さらに検討を加える。

(一)  被告人車の運転態度

まず、被告人が、第一停車地点において、本件対向車線上を右折、横断して道路外の場所である前記被告人方まで進入しようとするに際し、「他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるとき」は、右折、横断してはならず(道路交通法二五条の二第一項)、右折、横断するにあたつては対向車線上を直進して来る車両等の安全確認に十分意を用いる必要のあることは、論をまたないところである。ところで、前認定のように被告人は、対向車線(幅員八メートル)上を二列に渋滞している車両の各運転者からそれぞれ右折、横断を促す合図を得て、右二列の対向車両に対する関係においては十分安全を確認したうえ第二停車地点まで右折進行したものであるから、被告人が対向車線上を第一停車地点から第二停車地点まで右折、横断した措置は、前記法条に違背するものとは解しえない。そして、被告人が右第二停車地点を発進し、本件車道部分を横断するに際して、被告人車が、すでに前述のようになかば以上対向車線の横断を終え、さらに本件車道部分の安全を確認するため一時第二停車地点にボンネツトが右車道部分に約七〇センチメートル出た状態で停車したことにかんがみれば、条理上すでに本件車道部分を直進して来る車両に優先して同所を横断することのできる立場にあつたものと解するのが相当である。

さらに前認定のように当時第二停車地点から左方(東方)にも西方交差点の青信号を待つて渋滞する車両が何台も続いており、被告人が一たん下車して左方を見通した時点から再び乗車して自車を発進させ横断を完了するまでにすくなくとも数秒を要するものと解されるところ、その間における左方車両の安全をあらかじめ見越すことは実際上極めて困難であるうえに対向車線上の車両の通行にも多大の支障をきたすおそれがあつたものと認められる。また関係証拠によれば、被告人は当時外出先から自宅に帰る途上であつて、格別自車に同乗する者もなく、したがつて車外で左方の安全を確認し被告人車を誘導する適当な第三者も見当たらなかつたことが認められ、被告人の下車ないしは他の者の誘導による左方の安全確認がいずれも期待しがたい状況にあつたことが明らかである。右のように被告人車に本件事故に直結する交通法規の違反を見出すことはできない。

(二)  越路車の運転態度

他方前認定によれば、被告人は、第二停車地点において南側の渋滞車両の側端から本件車道部分に自車のボンネツトを約七〇センチメートル突き出して停車しており、右車道部分を直進してくる車両に対し、横断中の車両があることを示していわば警告を発していたのであるから、越路は被告人車の動向、ことに被告人車が同所を横断しようとしているものであることを十分認識しえたはずである。しかも、当時本件事故現場は車両が二百数十メートルにわたつて二列に連続して渋滞しており、停止車両の陰から横断車両ないし歩行者が出現する可能性を予測しうるところであり、また、南側渋滞車両と歩道の間にはわずか一・七メートルの間隙が残されているにすぎなかつたのであるから、越路としては、減速ないし徐行しかつ進路前方を十分注視して、安全な速度と方法で進行しなければならなかつたものといわねばならない。

また関係証拠によれば、被告人車が第二停車地点から衝突地点まで約四・二メートルを時速約五ないし一〇キロメートル(秒速一・三八九ないし二・七七八メートル)で進行するのに約一・五ないし三秒の時間を要することおよび被告人が左方車道部分を確認したうえ発進するのにすくなくとも一秒程度を要するので逆算すると、時速約二八キロメートル(秒速七・七七八メートル)で進行して来た越路車は、被告人車が第二停車地点に立ち至つた段階では、同所から約一九ないし三一メートル東方(左方)にあつたものと認められ、しかも本件衝突は、被告人車が本件車道部分を横断し終る寸前にその後端からわずか約三〇センチメートルの左側面に越路車前輪が衝突したかなりきわどい事故であつたことに徴しても、越路車の側で、前方注視、徐行等の措置により被告人車との衝突を避けることはきわめて容易であつたといわねばならない。

しかるに、関係証拠によれば、越路は、自車の速度を落さないで約時速二八キロメートルのまま、しかも進路前方二百数十メートルの交差点にある対面信号に気を奪われ前方注視を怠つた状態で漫然と進行し、わずか五メートル位手前に至つてはじめて被告人車に気付いたが、すでに間に合わず被告人車の後尾に自車を衝突させたものと認められるから、越路の運転態度に相当性を欠くものがあつたというほかなく、被告人において越路車の右運転態度を予想すべき特段の事情のなかつたことも明らかであり、同人の運転態度が本件事故の原因となつたことは否定しがたいところである。

(三)  以上の事実関係のもとにおいて、被告人のようにそのときの道路および交通の状態その他具体的な状況に応じ、対向直進車に対する安全を確認して適式に道路を横断中の自動車運転者としては、特段の事情の認められない本件において、前記渋滞車両の左側方約一・七メートルの本件車道部分を直進して来る二輪車など他の車両の運転者が交通法規を守り、前方を注視しかつ減速ないし徐行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して横断、進行すれば足り、前記越路車のように、注意すれば容易に被告人車を発見しうるのに前方注視を怠り、しかもかなりの速度で比較的狭い本件車道部分を直進して来る車両のあることまで予想し、これに備え一たん下車しあるいは他の者に誘導させるなどのより周到な左方車道部分の安全確認をなすべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。

三、以上のとおり、被告人には原判示のように本件事故の原因である過失を認めることが困難であると判断されるので、被告人に過失があるとした原判決はこの点において刑法二一一条前段の解釈適用を誤つたものであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、結局論旨は理由がある。

ところで、原判決は原判示の業務上過失傷害罪と他の罪とを刑法四五条前段の合併罪の関係にあるとして一括処断しているので、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決の全部を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所においてただちに次のように自判する。

原判決が確定した原判示第二の報告義務違反の事実に法令を適用すると、被告人の原判示第二の所為は、道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。なお原審および当審における訴訟費用(証人越路花子、同福原宏に各支給した分)はいずれも本件第一の公訴事実に関する訴訟費用と認められるので、被告人に負担させない。

(無罪部分の判断)

本件公訴事実中業務上過失傷害の事実の要旨は、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五〇年八月一一日午後五時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、札幌市中央区北三条東八丁目付近道路を西方から路外南側の自宅敷地内に向かい右折進入するため、対向車線上に二列に連続して渋滞停車中の南側車両の前面で一時停止して発進しようとしたのであるが、前記停車車両の南側には歩道との間になお約二メートルの車道部分があり、右停車車両のため左方車道部分の見通しが困難であつたから、このような場合自動車運転者としては、右車道部分の交通の安全を確認して発進すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、時速約五キロメートルで漫然と発進して進行した過失により、おりから右車道部分を直進して来た越路花子運転の原動機付自転車に自車を衝突させて同女を路上に転倒させ、よつて同女に加療約四六日間を要する頸部捻挫などの傷害を負わせたものである、というのであるが、前叙のとおり全証拠によつても右の過失の点を肯認することができず、結局、本件公訴事実中業務上過失傷害の点は、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法四〇四条、三三六条後段により、被告人に対し右の点について無罪の言渡をすることとする。

以上の理由から主文のとおり判決をする。

(裁判官 粕谷俊治 高橋正之 豊永格)

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